『九重紫』
雪景色の美しさで話題になった、曾慶傑監督の初めての長編ドラマ。この作品で騰訊視頻の年度優秀監督に選ばれました。『逐玉』の雪の画が好きなら、まずはこちらを。

光と影を生かした構図、スローモーション、細やかなクローズアップ。曾慶傑監督の画作りは「曾式美学」と呼ばれています。『逐玉』のどの場面も絵のように美しいのは、この監督の美意識があるからです。
短い尺と限られた予算の中でも、画面の質には妥協しない。短劇の時代から、群衆が足りない場面を煙とたくさんの灯籠でにぎやかに見せるような工夫を重ねてきた監督です。初めての長編『九重紫』では、雪景色の美しさが話題になりました。
その美意識が、『逐玉』では4つの画になって表れています。
肉屋の娘の物語らしく、生の豚肉が大きく映し出されるシーンも印象的です。肉を切る手元の描写があまりに見事で、生々しさというより圧倒的に美味しそうでした。
さらに料理のシーンでは、スローモーションで立ちのぼる湯気、とろりと落ちるたれ、つややかな具材――画面越しに温かさと香りまで伝わってくるようです。何度もしつこいですが、私の中の井之頭五郎が語り出しそうなシズル感です。
冬の保存食である臘肉(ラーロウ)づくりをはじめ、肥腸麺(フェイチーメン)や麻辣鍋といった四川・重慶ならではの料理、香ばしい焼き栗まで登場。次から次へと繰り出される食の描写に、すっかり魅了されてしまいました。

暗闇を切り裂くように差す一筋の光と、その光の帯のなかをちらちらと舞い降りる雪。寂れた豚小屋という過酷な空間だからこそ、そこに立ち現れる光と影のコントラストが、絶句するほど美しいです。
あるいは、漆黒の闇のなか、濡れた髪から冷たく滴り落ちる水滴と、それをかすかに照らし出す一筋の光。暗く、冷え切った世界だからこそ、その光が強く印象に残ります。
雪の夜の鮮烈な出会いも、闇の中に浮かび上がるクローズアップも、『逐玉』の「光と影」を強く印象づける場面でした。

凍てついた林安鎮の白い大地。雪に閉ざされた町には、寒さや暮らしの厳しさがまとわりついています。そこから隼を追うように視線が空へ上がり、山の稜線から朝の光が差し込み、やがて画面いっぱいに緑の麓原書院が現れる。
白から緑へ、寒さから光へ、生活の厳しさから雅やかな世界へ。風景の色が変わるだけなのに、見ている側まで現実の重さからふっと解放され、別の世界へ運ばれていくように感じます。この場面転換そのものが、『逐玉』の映像美を強く印象づけた瞬間でした。


『逐玉』の映像は、とにかく美しく作られています。戦場でも人物が整いすぎている、肌や衣装が綺麗すぎる、といった声もあったようですが、私はむしろ、その美しさに振り切ったところがこの作品の魅力だと感じました。
史実や当時の暮らしをそのまま再現することよりも、画面の中にどんな世界をつくり、どう美しく見せるか。曾慶傑監督は、考古学的な再現ではなく、東洋の美しさを「写意」(形そのものより、心や趣を描くこと)で表すことを目指したと語っています。『逐玉』を見ていると、その考え方が随所に感じられます。
物語の幕開けも印象的です。ドラマは秦腔の節回しにのせた影絵劇から始まり、影絵の女将軍が、豚をさばく娘から将軍へと歩む長玉の運命を先に映し出します。
そしてもう一つ印象的なのが、武安侯・謝征の姿です。謝征は、雉の長い尾羽を2本挿した紫金冠をかぶって登場します。この尾羽は「翎子(língzi/リンツー)」と呼ばれ、長さは1.5〜2メートルほど。デザインは張凌赫がゲームの武将の姿を参考に自ら提案し、採用されたものだそうです。造型監督の易小雅によると、翎子をつけた姿は戦いの最中ではなく、戦いを終えて凱旋する武将を表しているとのことです。
私が特に好きなのが、凱旋した謝征が翎子をつけたまま馬に跨り、城門をくぐってくる場面です。馬の動きに合わせて長い雉の羽とともに頭がゆらゆらと揺れる。その姿がなんとも優雅で、武安侯の凱旋をいっそう印象的なものにしていました。一部では、この揺れを「馬にうまく乗れていない」と見る声もあったようですが、私はむしろこの揺れ方が好きです。ぴたりと動かない武将ではなく、長い翎子を揺らしながら馬上を進む姿そのものに、張凌赫が演じる謝征の雅やかさを感じました。もういいんです、揺れてて。かっこいいんだから。


同じ監督の美意識は、ほかの作品でも味わえます。日本で配信・放送された作品は、邦題も添えました。
雪景色の美しさで話題になった、曾慶傑監督の初めての長編ドラマ。この作品で騰訊視頻の年度優秀監督に選ばれました。『逐玉』の雪の画が好きなら、まずはこちらを。
監督の名前が広く知られるきっかけになった作品です。